幽現屋1

鷹槻れん

鷹槻れん

2020.03.26

 蒸し蒸しとして、じっとしていてもじっとりと汗ばんでくるような夏のある夜。


 エアコンのないボロアパートに住む僕は、あまりの暑さに耐えかねて、ふらふらと街へまろび出た。

 どこか適当な店で涼めたら。

 そんな気持ちで歩いていたら、入ったことのない路地に目がいった。


(こんな道、あったかな……)

 見覚えのない巷路こうじの向こうの方で、微かに灯りが明滅しているのが見える。


 その光に誘われるように、ふらふらとその小道へ足を踏み入れると、チカチカと点滅するスポット照明に照らされた、アンティーク調の小さな袖看板そでかんばんがあった。

 看板には『Antique Shop Yugen-ya』と、か細い筆記体で書かれていた。


 蔦蔓つたかずらに覆われたレンガ造りの建物の前面がショーウインドウになっていて、そこと無垢むくのオークドアについた格子こうしはまった明かり窓から、道におぼろな明かりが伸びている。


 アンティーク調の扉には『Open』と書かれた札が掛かっていた。



「ごめんください」


 僕は恐る恐る木戸を開くと、店内に向かって声をかける。

 扉を開けると同時にひんやりとした空気がこちらへ漏れ出してきて、とても心地よかった。

 僕は涼やかな冷気に誘われるように店内へ足を踏み入れる。


 ドアを開けたときに、上部に取り付けられたドアベルが、カランカランと乾いた音を立てたこともあり、奥の方から長い黒髪の、美しい女性が顔を覗かせる。

 年のころは三十路みそじ手前ぐらいだろうか。

 僕より数歳程度年上に見える彼女は、落ち着いた大人の色香を感じさせる艶めかしい人だった。


「はぁーい」

 彼女はそう答えると、僕を見とめてにっこりと微笑んだ。


 清楚な白のワンピースの上に、ブラウンの胸当てエプロンを身につけた彼女は、僕をじっと見つめると、「涼しくなるアイテムをお探しですね?」と言った。


「え?」

 そもそもここが何をあきなっている店なのかも、僕はよく分かっていない。

 それなのに告げられた、彼女の半ば確信めいた物言いに、僕は思わず頓狂とんきょうな声を出す。


「家、お暑いんでしょう?」

「……は、はいっ」

「それで、ここには涼みにいらっしゃった。……違いますか?」

 僕の目を、吸い込まれそうに深い黒瞳こくどうで見つめると、彼女が言う。


 情けないことに、全くって、かの人の言う通り。

 僕は恥ずかしくなって、思わず顔をうつむけた。


 

 しばし後――。最初に沈黙を打ち破ったのは彼女だった。


「あ、申し遅れました。わたくし、ここの店主をしております――」

 言いながら細く白い指に挟まれて差し出された名刺は手漉てすき和紙製……。そこに、振り仮名つきで『幽現屋ゆうげんや 店主:久遠くおん桜子さくらこ』と記されていた。

 まさか一見いちげんで入ってきたような客に名刺などを渡してくれるとは思ってもいなかった僕は、手渡された名刺にどぎまぎとしてしまう。


 それに、何より彼女は美しかったから。


「あ、ぼ、僕は……笹山ささやま……、笹山康介こうすけです」

 あいにく名刺は持ってきていなかったので、とりあえず名乗りだけ。


 緊張して舌を噛みながらしどろもどろに自己紹介した僕に、久遠さんがくすり……と笑う。



「それで、先ほどのお話の続きなんですけれど……」

 彼女はそう言って僕に背を向けると、奥の棚からアンティーク風のオイルランプを手に取った。


 それは油壺の部分だけではなく、炎を覆うしずく型のホヤのガラスまでもが透き通るようなマリンブルーで……。手のひらに載るほどの小型サイズながら、とても上品で存在感のある品物だった。


「これなんて如何いかがでしょう?」


 彼女が手にした、美しいテーブルランプの造形美に見惚みとれていた僕は、久遠くおんさんにそう問いかけられて、ハッとする。


「え? でも……」

 確か彼女は涼しくなれるグッズを勧めてくれると言っていなかったか?


 ランプは明かりを灯すものであって、涼を求めるときに使う道具ではないような……。


「信じていただけるかどうか分からないのですけれど……」

 僕の疑問をすぐに察したらしく、久遠さんが口許くちもとに淡い微笑をたたえながら口を開く。


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