目覚め

1 対話①

藤咲

藤咲

2020.04.27


 最寄り駅の南口改札を出て、住宅街を縫って進むと、目の前に小綺麗な喫茶店が現れる。私の住居からほんの少し歩いた場所に位置するその店に、最近はよく通っていた。

 店内は煙草の煙で、もうもうと白く霞みがかっている。店内は店主の趣味だろうか、アンティークな置物が随所に見られる。置物の種類は様々で、兎や蛙等の動物、自動車や飛行機等の機械もある。

 雑然としたその様は、人によっては居心地が悪く感じることもあるだろう。しかし私は好きだった。その、物言わぬ騒々しさは、意気消沈する心を無理やりにでも励ましてくれる。現にこの数日の間、私はそれに助けられていた。

 そんな、私にとって憂いのない場所に今日、あの男を呼び出した。先週の、彼の依頼に対する回答のためである。


「お願いした件について、お考えいただけたのでしょうか」

 目の前の男は私の瞳をしっかりと見ながら、そう問いかける。私は軽くうなずいた。

「ええ。あなたの依頼を、受けましょう」

 彼もまた、満足そうに頷く。

 本音を言えば、決心がついていない。しかしこのまま先延ばしにしても自分の答えが変わることは無いだろう。そう考えると、いてもたってもいられなくなった。

 今日の約束を取り次ぐため電話したのは昨日。そうだというのに、彼はすんなり了承した。その即答ぶりは、ここまで緊張している自分が阿呆に感じる程であった。

 ふう、と男は息をついた。同時に胸ポケットにある紙製の箱から煙草を一本取り出す。

「吸っても?」

 その一本を人差し指と中指に挟み、私に対し先端を向ける。私は何も言わずに頷く。どうも、とお礼紛いな一言を発したのち煙草をくわえると、煙草と同時に取り出していたジッポライターで火をつけた。

「いやあ、安心しましたよ。正直な話、てっきり今日はお断りのお言葉をいただくもんかと思っていたんで」

 そう言って、男は火のついた煙草を吸い、一度煙を吐いた。

「実際。初めに私の話を聞いた時、ほぼ百パーセント信じられなかったでしょう。こんなことを話す私に対して、憤りも感じられておりましたし」

「…ええ、まあ」

 誤魔化すように、私はテーブルに置かれたアイスコーヒーのグラスの縁に目を向けた。

「でも、そういうもんですよ。私だってまあ、この仕事を受け持った当初は現実味が無いこと、それに少々人道に外れているようにも感じられて、正直やりたくなかった」

 そう嘯く彼を受け流し、私はコーヒーを飲んだ。苦いが、その分頭が冴える。やはりコーヒーはブラックに限る。

 時刻は午後八時を過ぎていた。もう外は真っ暗だ。季節は秋に差し掛かろうとしており、日の暮れまでの時間も徐々に短くなってきていた。

「とにかく。本当なんですよね」

 自分に言い聞かせる意味もあって、再度聞く。

「え、何がですかい」そうあっけらかんと答える彼を睨む。

「あなたの話が本当であれば。可能なんでしょうね。確か、先週会った時にそう仰っていましたが」

 少々語気を強めて言うと、彼はあーはいはいと何度か頷く。

「これまでに私、散々目の当たりにしてきてますんで。そりゃあもう」

 その言葉を聞いて安堵するも束の間。彼は人差し指を立てて私の眼前に置く。

「でも話したとおり、誰しもがそうなるか、と聞かれれば、イエスとは言えませんねえ。あなたが無事、彼と出会うことができればその確率は上がりますが。私たちも、まだ過去の実績があまり無いんですよ。端的に言えば、『保証は無いが、その可能性は高い』ということになりますんで」

「それでも…それでも良いんです。その可能性があるのであれば」

「やる価値は、あると?」

 男の問いに対し、私は無言で頷く。

「それなら、心配いらないですよ。あなたのその想いが強ければ強いほど、可能性は高くなると思います」

 返事を推し量っていると、男は「続けて良いですか」と一言断りを入れた。私は頷く。

「あと、もう一点だけ」

「ええ」こめかみから汗が流れ落ちてくる。

「あなたにとって酷なことですが、事実は事実として、既に起こってしまっているものです。どうあがいても変えることはできません」

「…」

「あくまで、一時だけのもの。その点は良いですね?」

「分かっております」

 私は強く、はっきりと答えた。

「良かった」彼は再度満足そうに頷き、「あなたがそんな人で」と、煙草の先を灰皿ですり潰した。どうやら吸い終えたようだ。吸い殻の先端から、一筋の煙が立ち上っている。

「ご理解いただき、感謝します。よろしくお願いしますよ。あなたはあなたの目的のために。私たちは私たちの目的のために。お互い協力しましょう」

 男は私に片手を伸ばしてきた。私もまた、その手を伸ばし、握手を交わす。了承した以上、あとはやるしかない。私は他に手立ては無いのだから。

 私はコーヒーのグラスをつかみ、ぐいっと呷った。







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