episode1(1)こんなに君を好きなやつが近くにいるんだけど

北條真百弥

北條真百弥

2020.05.21

 彼女のことを知ったのは二年生の秋、図書室でのことだ。普段行かない図書室に入ったのは、そうなっていたからだとしか言えない。

 

 それは理科室からの掃除当番終わりで、図書室の前を通りがかったときのこと。何気なく引き戸の窓から中を覗くと、カウンターに座る彼女が目に入った。夕暮れに映える横顔に、吸い寄せられるように目が惹きつけられ、ドキドキした。顔が熱くなった。決して近くない距離にいるその人に、なぜここまで胸がざわめくんだろう。

 そこから手が勝手に動いて、引き戸を開けていた。図書室に入るとすぐに適当な本を手にとった。彼女から少し遠い位置に座って本を開く。手元は見ずに、ずっと彼女を見つめていた。

 そのとき俺はもう、恋に落ちていた。

 

 

 *

 

 岸有佳子さんを好きになってから、何も出来ないまま三年生になった。期待してたのに一緒のクラスにもなれなかった。同じ部活でもないし、一緒の高校へ行きたい。このまま何も接点を持たずに卒業したくない。悔いの無いように動こうと誓う。

 一組の岸さんは二年間ずっと図書委員で、今年もまた図書委員になったと、一組の教室の前で誰かが話してるのが聞こえてきた。だから今年は俺も図書委員をやる。同じ委員会なら話す機会も出来るはず。そう思って立候補したこの委員、争奪戦が起きるほど人気だったとは知らなかった。男女一名ずつの枠に十人ぐらいの手が挙がってる。しかも俺以外全員が経験者だ。話し合いで決まる訳もなく、ジャンケンで決めることになった。けど俺は、どうしても岸さんと接点を持ちたい。気合が功を奏したのか最後まで勝ち残り、何とかその座を勝ち取った。

 

 最初の委員会の日が来た。集合場所が図書室なのは、他の委員会と違ってわかりやすくていい。自己紹介の後の役割分担決めで、委員長は三組の及川に決まった。岸さんと同じバスケ部で、こいつもずっと図書委員だったと言っていた。俺は何とか岸さんの目に留まりたくて、適当な役割に手を挙げた。経験者側で協議が入った末、当番表の作成担当に決まったのだが、これが思いも寄らない方向に動き出した。

「えっと、赤堀くんは図書委員初めてだったよね」

 及川が困ったように俺に聞いてきた。

「ああ、そうだけど」

「当番表の作業は結構めんどいから、前回担当してた岸に教わってくれる?岸、いいよな」

「いいよ。じゃあ、赤堀くん後で」

「あ、ああ。よろしく」

 何だよ及川、超いい奴じゃん!

 

 委員会が終わった後、当番表の件で岸さんと俺はそのまま図書室に残ることになった。なぜか及川も一緒に残っていた。

「あのさ、赤堀くんって陸上部で大会出るんじゃなかった?当番表担当に決まっちゃったけど、大丈夫?」

 また及川に確認された。大丈夫だって言ったのに。

「まあ、練習ない日にやれば大丈夫だと思うけど、そんなに大変?」

「作成自体は大変じゃないんだけど、みんなの予定を調整するのが大変なの」

 岸さんが困り顔で言った。

「調整?」

「部活とか予定とかなんらかの交代依頼で、当番表通りに行かなくなることが結構あるってことなんだよ。けど、イントラの権限は一人にしかないから、変わったらその都度当番表の更新しないとならなくてさ。まあ、そんなに切羽詰まったもんじゃないけど、大会の練習に響いたら申し訳ないと思ってさ」

「それなら及川くんもバスケ部副部長で図書委員長じゃん」

「あー、図書委員って一番大変なのが当番表担当で、それ以外はラクチンなんだよ。それを知らない赤堀くんの立候補に甘える形で決定しちゃったから、責任感じるっつーか」

「そうなのか・・・まあ、決まった以上は何とかするしかないな。よくわかんなかったとは言え、自分で立候補したし」

「及川くん、わたし赤堀くんのフォローするよ。去年やってみて部活とそれなりに両立出来たし、わたしも恭子先輩にたくさんフォローしてもらってたから」

「そうだな、そうしてくれる?俺もフォローするし。じゃあ赤堀くん、改めてよろしく」

 

 それから岸さんに当番表のレクチャーを受けた。及川も途中まで聞いていたが、先生に呼ばれて別の仕事をしに行った。岸さんの教え方は上手で、イントラの操作方法はすぐに分かった。当番表を作るにあたっては男女一人ずつ二名で組み込んでいくルールさえ守れば、学年もクラスもバラバラで問題ない。岸さんは手作業で組み合わせを作っていたけど、俺は図書室のパソコンを借り、エクセルで簡単な当番表を作った。たったそれだけのことで、こちらがびっくりするほどめちゃくちゃ感激された。

「赤堀くん何これ、すごい!エクセルでこんな簡単にできるの?」

「うん、これくらいすぐに出来るよ。学校ではまだ教わってない関数使ったけど」

「もっと早く知りたかったあ。去年はくじ引きとかアミダとかいろいろやったの。先輩たちもそうやって決めてきたって言うし」

「はは、そうなんだ。俺はたまたまエクセル使ってたから出来たけど、中学でパソコン使うようになったのって最近だもんな」

「ホントだね。こんなに凄いの作れるなら、当番表の作り方はもう教えることないから、実際に調整が来て困ったときは教えてくれる?」

「わかった。でも、当番表作った後のチェックはお願いしていい?」

「もちろんいいよ」

 これで岸さんに堂々と話すきっかけが出来た。こんなに君を好きなやつが近くにいるんだけど、いつ気づいてくれるだろうか。

 

 *

 

 岸さんは誰にでも優しい。部活でも委員会でも後輩に慕われてるみたいだし、面倒見がよい。俺のサポートを言い出したときは勘違いしそうになったけど。

 当番表ができた後、実際に数人から日程変更の依頼があり、そこで俺は気がついた。調整という名目で、岸さんと同じ当番になる機会を増やせばいいのだ。我ながら頭がいいと思った。如何にバレないように組み合わせて、岸さんと一緒の当番にするかを考えるのが楽しくなった。数をこなしているうちに、俺は図書委員全員から神と言われるほど調整の達人となっていた。そのせいにするのはアレだが、陸上の地区予選で惨敗した。中学で陸上は辞めるつもりでいたから悔いはない。

 

 だいぶ暑くなってきた六月も中旬のこと。

 図書室に着いてみれば、カウンターには沈んでいる岸さんがいた。沈んでいるというか、物凄く暗い。顔も青ざめているみたいだし、具合でも悪いのか。

「岸さん、具合悪い?」

「あ、赤堀くん。ううん、今日は暑いからだるいだけ」

「無理してんなら帰ったほうがよくない?保健室行く?」

「大丈夫だよー、ホントに何ともないから。それより今日は夏休みの図書室開放日の当番決めないとでしょ」

「あ、そうだった。じゃあまたチェック頼むよ」

「うん。今日は人少ないから、準備室のパソコンで作業してていいよ。人が増えたら呼ぶから」

 準備室はガラス窓で仕切られてるから、カウンターの様子は充分見える。俺のいる位置からは後ろ姿しか見えないけど、岸さんはどう見ても無理してるようにしか見えない。何度もため息ついてるし、カウンターの下で開いた本のページは全然進んでいない。時折窓の方を眺めて、また本をめくっては戻すことを繰り返している。完全に心此処にあらずだ。様子が気になって仕方ないけど、俺も作業を進めなくては。

 

 甲高い声が聞こえて顔を上げると、岸さんは戸山さんと話してた。よく二人でいるところを見るから、親友なのかもしれない。近くに人がいないから普通の声で話してるんだろうけど、準備室のドアが閉まってるから聞こえる会話は途切れ途切れだ。

「まだ・・・してるの?」

「・・・先輩が手を・・・」

「もういい加減・・・」

「・・・」

 途中の会話が全然分からなかったけど、岸さんの声が弱々しいのはわかった。それに戸山さんが岸さんの頭を撫でて、慰めてるようにも見えた。

 先輩って聞こえた。誰のことなんだろう。パソコンを前にしたまま耳だけが準備室の外に集中してしまい、手が全然動かない。

「元気だしなよ、じゃあね」

 再び声に反応してカウンターの方を見ると、戸山さんが図書室を出たところだった。岸さんはしばらく俯いていた。背中を丸めて涙を拭っているように見える。俺はその場で立ち上がり、声をかけようと一歩前に出て、躊躇った。


 ああ、岸さんは誰かのことが好きなんだ。


 直感でそう思った。


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