完結

神様とゆで卵

丸家れい 6話

2

丸家れい

丸家れい

2020.05.30

「ちょっ……なんしょん!」

 瑛真は慌てて海の中に飛び込んだ。ばしゃばしゃと波に逆らって竜神の足元にあるだろう卵を探る。浅瀬だったおかげで卵はすぐに見つかった。

 卵のパックを拾い上げて瑛真が竜神を睨み上げると竜神は冷然と瑛真を見下ろしていた。

 瑛真は奥歯を噛み締めて、


「この、ど阿呆が!」


 竜神の頬に拳をお見舞いしてやった。

 ふらついて海に尻餅をついた竜神は驚きのあまりぱくぱくと魚のように唇を動かしていた。


「神様が食べ物を粗末に扱うってどういうことや! 神様やろが!」


 瑛真はそう吐き捨て、砂浜に戻ってカゴバッグの中からマヨネーズを取り出してまた海に踏み入る。

 鼻息を荒くさせ、無言のまま卵の殻を剥く瑛真の鬼気迫る表情に竜神は引いていた。

 瑛真はつやつやのゆで卵のてっぺんにマヨネーズをソフトクリームのように重ねて乗せた。


「食べてみぃ」


 ずいっと竜神の美麗な顔の前に押し出す。

 しかし、竜神は一文字に唇を引き結んで、食べる気はないと意思表示を見せてきた。

 瑛真は顔を引き吊らせる。


「瀬戸内海の神様かなんか知らんけど、人の好意を無下にするなんて最低やな! がっかりやわ! 神様なんかやめてまえ」


「なっ……!」


 気色ばむ竜神の口が開いた。

 瑛真はしめたとニヤリと笑う。

 竜神の隙を狙ってゆで卵を竜神の口の中へ押し込んだ。卵を捨てた罰だとぐりぐりと押し付けてやる。

 竜神の口の回りはマヨネーズで白くなる。

 瑛真は一仕事終えたかのように手の甲で額を拭う。


「ふっ、いい気味やわ」


 高貴な竜神の顔が汚れる様は快感だった。

苦痛に、屈辱に震える竜神だが、ゆで卵を咀嚼した途端、顔色を変えた。


「……美味じゃ」


 マヨネーズだらけの白い唇が未知なる世界に感動していた。

 瑛真は得意気に笑う。


「やろ。他にもな、マスタードとか塩コショウも美味しいで」


「明日、持ってきてくれぬか」


 竜神は口早に言い、半分なくなったゆで卵を持つ瑛真の手をしかと掴んだ。


 神様も人間と同じで温かった。


 瑛真は残ったゆで卵を竜神に握らせてマヨネーズをたっぷりとかけてあげた。

 無心にゆで卵を頬張る竜神が普通の人間の男の子のように見えておかしかった。

 指に付着したマヨネーズをぺろりと舐めて竜神は言う。


「小娘、名はなんという?」


「瑛真。神様は名前あるん?」


 瑛真の何気ない問いに竜神はわざとらしくゴホンっと咳払いをし、


瀬戸竜王せとりゅうおうと申す」


 唇の端にマヨネーズをつけたまま背をぴんと伸ばす。

 マヨネーズをつけてキメ顔をされても可笑しいだけだった。

 瑛真は瀬戸竜王の口の端についたマヨネーズを指で拭き取って舐めた。


「なんか、神様やのに愛らしいな」


 瀬戸竜王は間抜けに口を開け放ち、美麗な顔を崩した。


「は、は、破廉恥な!」


 瑛真は声をあげて笑った。


「うはははは! なんて初な神様なん! 神様のイメージが崩れるー!」


「たわけ! 初などではない! さらばじゃ!」


 瀬戸竜王は湯だって赤くなった身体を冷ますかのように海の中へ帰って行ってしまった。


「逃げたな」


 瑛真が残念そうに、しかし楽しそうに笑みを浮かべていると、瀬戸竜王が海面から顔だけを出した。未だ顔を赤くした瀬戸竜王はしかめっ面のまま、ふっ、と瑛真に息を吹いて何も言わずに海の中に戻った。


「なんや、あれ」


 ゆで卵持ってこんぞ、と瑛真が顔をしかめて砂浜に上がった瞬間、全身が暖かい風に包み込まれた。海水で濡れていた身体から水分が飛んでいったのか瑛真の服は乾いていた。

 瑛真は振り返って瀬戸竜王のいない海を見つめる。


「瀬戸さーん! ありがとー!」


 瑛真は夜空に手を突き上げて大きく振った。すると、偶然か必然か、海面に映る満月が揺れた。

 まるで、海面の下で瀬戸竜王が照れながら手を振ってくれているかのようだった。

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